ほややん、フリーターになる。

目次

きっかけ 

わたしは、社会人5年目が終了したとき、看護師の仕事を辞めた。きっかけは、仕事とプライベートのストレスにより軽い鬱状態になり、3週間仕事を休んだことだ。働いてきた5年間で急に休んだのは、1年目の発熱による3日間の休みとその時だけだ。

休んでいる間の3週間はとても長く感じた。鬱のような症状で、最初の1週間はコタツから出ることができなかった。体がとてつもなく重い。急に居ても立っても居られなくなり、漠然とした不安に襲われる。少しずつ、外に出られるようになり、少しずつ、少しずつ回復した。時がゆっくり進んでいた

今までの私の人生は、高校、大学、就職と、特に立ち止まることなく、進んできた。だが、突如として、今までのこと、これからのことについて、考える時間ができた。

それから、3週間経ち、無事に仕事に復帰

旧友との温泉旅行

いつもと変わらず仕事を続けるが、このままで本当にいいのかな?と疑問が湧いてくる。なにか違うような。そんな気持ちはあったが、仕事は続けていた。

しばらくして、高校の友達と1泊2日の温泉に行くことに、その時に友達に言われた。

友達「ほややん、変わったよね。性格が、きつくなった。」

まったく気が付いていなかった、性格の変化を指摘され、すごくびっくりし、そしてなぜか落ち込んだ。だけど、原因はわかった、仕事だ。夜勤もあり、日中の仕事も朝の8時に出勤し、夜の12時に帰ることもあった。命のかかわる責任の重い、過酷な仕事だった。生活リズムも整わず、昼間でも眠い、たくさん寝ても、まだ眠い。そんな毎日だった。

社会人になり、数年続けて、そんな生活が当たり前のこととなり、働いているときはきついことだとは思わなかった。休みの日も、楽しむことよりもまず休養。あれ?働く意味ってなんだっけ?また、そんな疑問がわく。その後、友達とたくさん話した。その友達も医療従事者で、今の仕事に疑問をもち、自分のやりたいことを考えている最中だった。その時に話した時間はとても楽しかった。理想論でもいいから、自分たちのやりたいこと、面白いと思うことを、ひたすら話す時間だった。

面白いと思うことの中で、一緒に住んじゃう?という話が出た。アラサー女子ふたり。きっと楽しい。

無職になる。

半年後、私たちは、仕事を辞め、無職になった

そして小さな一軒家を借りて一緒に住み始めた。

友達は、昔からやりたいと思っていた、料理の専門学校に行き始めた。私は、特にやりたいこともなく、ゆっくりしたいと思っていたので、特に何もせず、ぼーっとしていた。幸いにも、社会人の時に使う時間がなかったためお金は多少たまっていた。

髪は金髪

まずは、今までしてこなかったことをやりたいと、髪を金髪にした。ブリーチをしたのも初めてだった

そして、金髪にして学んだことがあった。他人からの扱いについてだ

以前はほぼ暗い茶髪で、一般的な年相応のよくいる人だった(と思う)。

だが、金髪にしたところ、知らない人と話すときに、なめられることが多くなった(気がする)。以前よりもため口で話しかけられることが多くなり、なんか扱いが悪くなったなぁと思うことが多々発生した。

(この当時、フリーターということで、なんとなく働いていない後ろめたさがあり、そう思い込んでしまった部分もあるとは思うが、)人は見た目じゃない。というのは嘘と身をもって体験できた良い機会であった。

そろそろ働くか

働かないとやはり貯金は減っていく。何しろ飽きた。

数か月たち、あるレストランでアルバイトとして働き始めた。ホール担当と思っていたが、なぜか調理担当だった。料理は、ほぼしたことはなかった。

そのころは、初夏で、日に日に暑さがまし、火を使う担当だったため調理場はサウナのようだった。

持って行ったペットボトルはあっという間に終わってしまい、水をつぎ足し、必死な水分補給で倒れないようにするのが大変だった。

最低賃金以下の仕事

アルバイトになる前は、私は結構稼いでいる方だった。看護師という職種がよかったのだ。その職場でアルバイトとして働いても時給1500円程度はもらえるような職場だった。

しかし、調理場のアルバイトになり、かなり過酷で身を削る思いで働いたのだが、研修期間ということもあり、時給は750円だった。あとで調べたら、あの当時、住んでいる地域の最低賃金は840円だった。違法じゃなかろうか。

私は、フリーターかつ社会人経験もあるアラサー、ほかスタッフは私よりもはるかに若い高校生や大学生。仕事ができないのは恥ずかしいという思いがあったので、仕事が終わり家に帰ってからも、調理のマニュアルを作成し、いかに早く1人前になれるか考え続けた。

私の担当、「ニクバ」

そのレストランで、調理場に入るのは3人。

①パスタを作る専門の店長、②肉場という私の担当の場所、③サラダ場というデザートやサラダを作る専門の場所、に1人づつ配置となる。

②の肉場は意外とやることが多い。グラタンやドリア、カレーライスに、ハンバーグ、揚げ物、ピザ、etc と作る料理はたくさんあった。

②の肉場は以前は、先代の社長が担当していた場所であり、社長が急遽引退することになり、私が入ったころくらいから、アルバイトに任せることとしたようだ。料理初心者のアルバイトに任せる場所ではないと、今では思う。

一度、料理人として経験のある方を雇ったそうだが、作る料理が多すぎて覚えられないという理由で数日でやめたらしい。ニクバはそういう場所だ。

鉄のフライパン、ガスオーブン、フライヤーも使う。マニュアルは一切ない。料理についても、店長が1回だけ、教えてくれるだけで、あとは自分でやってねスタイル。初めてのことばかりで、戸惑いは多く、やけども絶えなかった。

そして、極めつけに、店長は不愛想だ。奥さんがホールで働いていて、奥さんとは楽しそうに話しているが、私が話しかけても、一言でしか返答はない。私には笑うこともない

私より前からいる学生のスタッフとは楽しそうに会話をしているが、私への対応はそんな感じなので疎外感が半端なかった。

そんな、こんなで、わたしのバイト生活は始まった。

つづく

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次